2015年1月23日金曜日

リニアに関する可児市民の意見(公聴会での公述)その5



私の公述の目的は、中央新幹線の計画そのものに反対するものではなく、私が暮らしてい る場所、可児市久々利の大萱地区において発表されている地上路線を地下路線に変更される よう働きかけることです。これは私個人の思いのみならず、また現代のみならず、過去より 今に至るまで地域住民の、この地をあるがままの姿で残したいという思いが込められていま す。これより、この地をあるがままの姿で残したい理由を述べさせていただきます。

まずはこの地における歴史について簡単に説明させていただきます。大萱地区は今から 400 年以上前の桃山時代に美濃焼の名品を数多く作っていた場所です。今でこそその史実は揺る がぬものとなっていますが、それが改めて世に知られるようになったのは、今から約 80 年ほ ど前のことです。それまで数百年の長きにわたって、この地が志野の産地であることは忘れ 去られていたのです。この地が志野の生産地であったことを発見し、この地で志野の再現に 努め、ついにはその功績によって、重要無形文化財保持者いわゆる人間国宝までになった人 物がいます。その人物の名は荒川豊蔵、私の曽祖父にあたります。荒川豊蔵は昭和初期に大 萱において志野のかけらを発掘し、志野の再現を目指してこの地に移り住み、長い年月を経 て志野の再現に成功したとされています。この一連の事業の中において極めて重要な役割を 果たしたのが、大萱古窯跡群の存在でした。古い窯跡より志野の焼成に最適な窯の構􏰀を見 出し、発掘された陶器のかけらを参考にして、材料とする粘土をこの地より掘り出して使い ました。
このように大萱古窯跡群という場所は、桃山時代の古い陶器を焼いたというだけではなく、 その痕跡をもとに昭和の志野の再現に結びつけたという志野の出現と再現とを担った重要な 意味合いを持った場所なのです。それは窯跡のみならず地形その他全ての環境が桃山時代の 姿を残していたからこそできた再現であったのです。しかし、大萱地区はその後急􏰁に開発 によって従来の環境を失ってきました。荒川豊蔵は、その開発を時代の流れと諦観しつつも、 少しでも貴重な環境を残そうと、私財を投じて窯跡とその周辺の土地を守ってきました。
そして時は下り、その弟子であった父がその技法を受け継ぎ、この地において陶芸活動を 行っています。路線計画地となっている土地は当家が苦労の末に開拓した場所です。原料と なる土とそれを精製するための水をたたえ、燃料となる木材を産出するなど、陶芸活動を続 けていくためには欠かせない場所です。それのみならず、森の恵みを享受できる里山でもあ ります。これは何物にも代えがたい我々の貴重な財産であり、これを失うことは曽祖父から 父へそして私へと、我々が長年かけて守り、築き上げてきた全てを失うに等しいことです。
中央新幹線が地上を通過するにあたって、我々が失うであろう文化は二つあります。一つ は桃山時代と変わらない伝統的な陶芸活動の文化、そしてもう一つは自然と人とが共存する 里山生活の文化です。これらの自然と密接した生活様式は、かつては日本各地において普遍 的に存在する文化ではあったものの、今では各地で失われています。我々の生活は、この文 化を実践するものであり、これを破壊することは一つの文化の終焉を加􏰁させることに他な りません。また現代の社会において当たり前な便利さを選ばず、豊かな自然と静謐な環境に 囲まれた風土の中で、文化を守って一生を過ごすことを常に選んできた我々にとって、この 環境が乱されることは人生の目的を失うものであり、全くもって耐えがたい事態です。古来 より続く大萱古窯跡群の景観を乱すことについても、国内はもとより海外からも懸念や反対 の声が寄せられています。これまで残されていた景観を、今この環境を重んじる時代に破壊 する計画は信じがたい暴挙です。遺構そのものだけではなく景観も含めて史跡です。先ごろ 世界遺産となった富士山では、山だけではなく、そこから離れた三保の松原からの風景も含 めて世界遺産とされた、そんな事例があったことも思い出してください。400 年以上もその 概容を残し、今なお多くの人間がそこに密接した文化を持った場所は、世界的にも貴重なも のではないかと思います。昨年になって古窯跡群の再調査が始まりましたが、それによって これまで知られていなかった事実が判明しつつあります。大萱古窯跡群は枯れつくした遺構 なのではなく、失われた文化を再発見する可能性を秘めています。文化の継承とは何でしょ うか。文化とは記録があれば何時でも再現できるものではありません。そこに密接に関わる 人間が多様な形でいてこそ継承できるものではないでしょうか。東京から名古屋まで 286 キ ロメートルの路線計画において、大萱地区の地上部はわずか 1.5 キロメートル程度です。で
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すが、たった 1.5 キロメートルを地上にすることによって、永遠に失われる文化がいくつも あるのです。
JR東海側によれば当地区への環境への影響はほとんどない、と公表されています。「ほと んどない」とはどういうことでしょうか。何を基準にした「ほとんど」でしょうか。静かな 山里に高架や掘割を作り、これが環境に影響を与えないという説明を、あるいは環境基準ぎ りぎりの騒音だから影響がないという説明を、あるいは意見書によって我々の持つ生活と文 化を守りたいと願った要望を全く省みない見解を、我々はどう受け入れればよいのでしょう か。美濃帯その他地質的な理由も挙げられてはいますが、他に方法がないのであればともか く、技術的に可能な選択肢がある以上は、今現在この地で暮らす我々住民の生活と文化を乱 すことは疑いようもない計画を取り止め、影響が最小限となる地下路線への計画変更を強く 要望します。JR東海の経営理念に「健全な経営による世の中への貢献」という文言があり ます。計画変更によって我々の生活と文化を未来に残すことは、まさしく「健全な経営によ る世の中への貢献」に相違ないはずです。
最後に繰り返しますが、この地における生活と文化を守りたい、それが我々の願いです。 我々はこの環境で生活する文化を次世代に残す使命を帯び、生きていると信じて疑っていま せん。私自身のみならず地域住民一同、あるいは岐阜県民の皆さん、さらにはもっと多くの 国内外の方々にとっても、この文化や環境、景観の継承は大切なものであると思っています。 それを継承する人がいなくなって消えていくのならともかく、継承の意思を持つ人がいるに もかかわらず、その基盤である環境を破壊されることによって消えてしまうというのは、あ ってはならないことではないでしょうか。今から 80 年前に始まった志野の再現は大事なこと を示唆しています。忘れられていたものは蘇るかもしれません。しかし、破壊されたものは 二度と戻らない。過去より続く文化と環境を未来に残すのは、今の時代に生きる我々の義務 ではないでしょうか。以上をもちまして私の公述を終わらせていただきます。残念ながら時 間がなかったので写真とかを準備できませんでした。機会があれば一度見ていただきたいと 思います。見た上で残す価値があるものなのかどうか、判断していただきたいと思います。 ありがとうございました。 

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