2016年4月29日金曜日

新幹線騒音公害訴訟の「教訓をリニアに」(2016年4月29日中日新聞より)

新幹線騒音、改善半ば 和解30年で原告団「教訓をリニアに」 

2016/4/29 朝刊
新幹線の高架脇で、かつての公害訴訟を語る高木輝雄弁護士=名古屋市熱田区で
 新幹線の騒音や振動の被害を全国で初めて訴えた名古屋新幹線公害訴訟の和解成立から二十八日で三十年を迎えた。公害対策は進んだが、国の環境基準を満たさない地点がいまだに半数近くある。元原告の代表者らは今も月一回の会合を重ね、JR東海などへの要望活動を続ける。二〇二七年予定のリニア中央新幹線開業に向けて、訴訟に関わった人たちは「住民に大変な苦痛を強いた新幹線の歴史を振り返り、教訓を生かしてほしい」と訴える。
 「大地震が起きる前に、アスベスト(石綿)を使った防音壁を早く取り換えてもらわないと」。今月二十六日夜、名古屋市熱田区の弁護士事務所に元原告ら八人が集まり、六月に提出する環境相宛ての要望書について話し合った。
 今も「原告団」の名称で活動し、年一回はJR東海と協議し、対策の進捗(しんちょく)を確認し、さらなる改善を求めている。
 弁護団事務局長の高木輝雄弁護士(73)は、熱田区の新幹線高架近くの地域で生まれ育った。学生時代は新幹線の工事と重なり、司法試験の勉強も落ち着いてできなかった。「夢の超特急」のため我慢したが、開業後はもっとひどかった。国鉄から「あっという間に通り過ぎるから心配ない」と説明されていた両親も驚いた。
 一九六八年に弁護士になると近所から相談を受けるように。「終電まで眠れず、寝たきりの親が体調を悪化させた」「赤ちゃんが寝つかず息子夫婦が家を出ていった」。国鉄との交渉に同席し、やがて公害訴訟の経験を持つ仲間と弁護団を結成。七四年の提訴から八六年の和解まで難交渉の中心となった。
 環境省によると、東海道新幹線の東京-新大阪間で百三十七カ所ある測定地点で一四年度、掃除機や電話の呼び出し音に相当する七〇デシベルの騒音の環境基準(住宅地以外は七五デシベル)を満たしたのは七十カ所。達成率は51%だ。
 この基準は提訴翌年の七五年にできた。猶予期間の十年が過ぎると、国は「早期の達成は困難」として、当面は住宅地も工業地などと同じ七五デシベルを目安に指導するようになった。暫定的な方針とされたが、三十年過ぎた今も緩めの基準を目安にしている。JR東海は「国の指導に従って、基準達成に向けて対策を進めたい」とする。
 原告団顧問の中川武夫・中京大名誉教授(公衆衛生学)は「暫定といって、環境基準を骨抜きにしている。リニアの本格工事を控え過去の教訓を生かさないなら、何か問題が出てきてもおかしくない」と話す。
 <名古屋新幹線公害訴訟> 東海道新幹線開業から10年後の1974年、名古屋市の南、熱田、中川区の沿線7キロの住民らが国鉄(当時)に騒音や振動の差し止めと損害賠償を求めて提訴。一、二審とも慰謝料の支払いを命じたが、差し止め請求は新幹線の公共性を理由に棄却した。双方が上告する一方、和解に向けて交渉。86年4月28日に▽国鉄は89年度末までに7キロ区間で騒音を75デシベル以下とするよう最大限努力する▽国鉄は速やかに騒音の環境基準を達成するよう開発、実施に努める▽和解金は4億8000万円-を柱とする和解が成立した。

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